文京区本郷は文豪の街、歯科とゆかりのある街

ご存知ですか?「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」

江戸では大火事が起こったことから、江戸南町奉行の大岡越前守は、本郷の「かねやす(現在用品店)」があった辺りから南側の建物には耐火性のある塗屋造り、土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺きを禁じ、瓦で葺くことを許した。このため、「かねやす」が江戸の北限として認識されるようになり、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」の川柳が生まれました。

文京の街 文豪の街

当協会東京事業部は、文京のまち「文京区本郷」にあります。本郷の由来は、湯島郷の中に集落ができその中心地であったことから湯島本郷と呼ばれ、室町時代~戦国時代に本郷と呼ばれるようになったという古い歴史があります。明治10年(1877)に加賀前田家上屋敷跡に東京大学が創立されると、本郷は「東大の街」として、多くの教師、学生、文人が住む町となっていき、文京の街といわれるようになりました。

明治~昭和になると、夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など多くの文豪が居を構え、今でも住居跡などの文学史跡があることから、観光スポットにもなっています。

名前が分かりますか?答えは最後にあります。

歯科とゆかりある街

この薬をもって磨く時は、その白さ銀を敷くる如く、一生口中歯の憂なし

「かねやす」の初代店主・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)は、口中医(歯科医)で、徳川家康が江戸入府の際に京都から移住してきました。そして、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ若い女性を中心大変人気を呼び繁盛したそうです。

女性の歯科医師養成機関 歯科衛生士学校のルーツあり

文京区本郷一丁目にある「学校法人東洋学園」は、1926年に東洋女子歯科医学専門学校として、女子では日本初の歯科医師法第1条第1号に基づく文部大臣指定校として発足した学校です。そして、1949年5月には「東洋女子歯科厚生学校」を開校し、これは歯科衛生士法施行後の日本初の歯科衛生士学校となりました。まさに歯科界の「女性の活躍推進」の草分けといえます。

東洋女子歯科厚生学校展「日本初の歯科衛生士学校」のご紹介

東洋学園大学本郷キャンパスでは、5月11日~10月30日まで「東洋女子歯科厚生学校展」が開かれ、1949年創立時の貴重な写真や歯科用器具などが展示されています。歯科関係者の皆さま、特に歯科衛生士は必見です!

詳しくは、東洋学園史料室のホームページをご確認ください。

http://www.tyg-archives.jp/exhibition/tt20150511/

文豪の名前は・・・

坪内逍遥(1859年生)  森 鴎外(1862年生)  石川啄木(1886年生 ) 樋口一葉(1872年生)
夏目漱石(1867年生)  川端康成(1899年生)  宮沢賢治(1896年生 ) 正岡子規(1867年生)

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